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開本:16開 紙張:膠版紙 包裝:平裝 國際標準書號ISBN:9787513038560 作者:王雪 出版社:知識產權出版社 出版時間:2015年12月 
" 編輯推薦 本書對谷崎潤一郎文學進行了深入的研究,通過代表性文學作品探究了其偵探小說的性格。 內容簡介 、對初期谷崎文學中的偵探小說性格和模式進行縝密地梳理和分析,揭示出谷崎潤一郎的一繫列被稱為偵探小說的作品所具有的共通特點。2、揭示出偵探小說性格不隻存在於三本偵探小說集中,而是貫穿谷崎文學的重要特征,在這一視角下探討谷崎文學獨特美學世界的形成對於打破既對立文學觀、以及拓展谷崎文學研究的新視角,更具有實踐意義和理論價值。1911年的《秘密》之後,谷崎潤一郎創作了許多被稱為偵探小說的作品,生前出版過三本偵探小說集。仔細觀察一下會發現,收錄在三個偵探小說集當中的作品都有一個共通的特點,就是所設定的謎團都和犯罪有關,然而比起破解謎團、查出犯罪事件的真相,作品更注重想要破解但還沒有破解的這一階段。因此作品中形成了設定謎團、想要破解而*終不能破解的這一具有偵探小說性格的模式。這一不隻存在於被稱為偵探小說的這些作品中,在《痴人的愛》、《卍》、《春琴抄》、《鑰匙》等谷崎的代表作品中也反復出現。 然而遺憾的是,迄今為止幾乎沒有研究對谷崎文學中的這個模式進行梳理、分析。反復被利用的這個模式,在谷崎的作品中究竟有什麼意義呢?本研究希望通過對《秘密》、《金和銀》、《人面疽》這些被稱為偵探小說的作品的考察,解析出這一模式形成的過程及其在作品中的意義,然後通過分析《痴人的愛》,考察在未被看作是偵探小說的作品中,這一模式是怎樣被應用的,及其在作品中的意義。筆者希望通過對這四部作品的分析,邁出考察這一模式在谷崎文學中意義的**步。 在《秘密》中,“我”在追求“秘密”的過程中,再次邂逅T女,跟隨T女進入了她所營造的“另一個世界”。然而,由於對破解秘密的執著,“我”*終用“偵探的眼睛”查出了T女的所在地址、姓名和身份,將“區別不了是現實還是幻覺”的“另一個世界”還原回了現實世界。設定謎團、破解謎團這一偵探小說的結構,雖然在一定程度上有利於營造出“另一個世界”,但是不能夠令其持久留存。 在《金和銀》中,由於過分重視社會評價和名聲,畫家大川*終以完全犯罪的形式,除掉了可以看到“夢幻的藝術世界”的“天纔”畫家青野。之後,大川進而利用完全犯罪中體會到的原理在美術市場上大獲成功,成了公眾眼中的“天纔”(作品中稱為“金”)。另一方面,由於青野性格上具有犯罪傾向,並且在社會上信譽盡失,所以對於他被襲擊、變成白痴的事件,警察和公眾都沒有追查真相、找出兇手的意思。青野被害的事件成了一個可以不去破解的謎團,被永遠擱置。《金和銀》成功地打破了偵探小說中破解謎團、追查真相的偵探形像和公眾意志,揭示出了“夢幻的藝術世界”如果和現實的社會秩序相抵觸,就隻有被否定、壓抑甚至被抹煞的現實。 在同一時期的作品《人面疽》中,谷崎借助電影的力量,創造出了一個被社會普遍承認的“夢幻世界”,同時**次利用了設定謎團、想要破解而*終不能破解這個模式,成功地在作品中保留住了這個“夢幻世界”。 《痴人的愛》被看做是谷崎集大正時代之大成的作品。很明顯,《痴人的愛》中也利用了設定謎團、想要破解而*終不能破解這個模式。作品中,比起讓治*終淪為“痴人”的結果,他成為“痴人”之前的“偵探”似的舉動好像並不突出。但是所謂“痴人”的誕生,其前提就是放棄破解奈緒美所提示的謎團,通過謎一樣的奈緒美去追尋“遙遠的世界”。 綜上所述,《秘密》中“另一個世界”、《金和銀》中“夢幻的藝術世界”、《人面疽》中“夢幻世界”、《痴人的愛》中“遙遠的世界”的形成和設定謎團、想要破解而*終不能破解的這個具有偵探小說性格的模式密不可分。這一模式是在谷崎追求其獨特的藝術的夢幻世界的過程中形成的,是其藝術的夢幻世界的一部分,在谷崎文學中具有重大意義。《春琴抄》、《盲目物語》、《鑰匙》等谷崎的代表作都有必要從這個視角重新進行解讀。對這些作品的重新解讀將成為筆者今後的重要課題。1 作者簡介 女, 1979年1月生,北京人,漢族,北京郵電大學人文學院講師,日語語言文學專業博士(北京外國語大學日本學研究中心2008-2012),主要從事日本文學、文化與中日文學、文化對比研究。研究工作經歷 ? 2005-2008,北京城市學院,國際語言文化學部,助教; ? 2008-2011,北京城市學院,國際語言文化學部,講師; ? 2012-至今,北京郵電大學,人文學院,講師; 科研成果 ?王雪. 谷崎潤一郎「人面疽」論――映畫の幻の世界の確保と解けない謎[C].北京日本學研究中心.日本學研究,北京:學苑出版社,已錄用,擬於2014年刊發.?王雪. 谷崎潤一郎《金與銀》論---藝術品與商品之間[C].李東哲權宇.日本語言文化研究第二輯下,延吉:延邊大學出版社,2012:365-373.?王雪. 試論王國維《紅樓夢評論》[J].北京城市學院學報,2010,95(1):82-85.?王雪. 芥川龍之介《羅生門》試論---從身體論的視點[J].延邊大學學報,2009(12):74-78.?王雪.谷崎潤一郎「痴人の愛」を読む――記號消費の結婚[C]. 北京日本學研究中心.日本學研究,北京:學苑出版社,2007,17:164-174.主持與參與項目 ? 主持,北京高等學校青年英纔計劃項目《谷崎潤一郎文學偵探小說性格及其影響研究》(YETP0466),2013年1月-2015年12月;(function(){var _oImgs = getTop().GelTags("img", getTop().S("mailContentContainer",window));getTop().E(_oImgs, function(_aoItem){ _aoItem.onerror = function(){getTop().LogKV({sValue:'getinvestigate|readmail|readmail|imgerror'});if (this.src && !/.*mail.qq.com\\/cgi-bin.*/.test(this.src) && /http:\\/\\//.test(this.src) && this.clientHeight * this.clientWidth > 0) {this.onerror = null;this.src = "/cgi-bin/get_netres?url=" + encodeURIComponent(this.src) + "&sid=" + getTop().getSid(); }}});})();? 主持,北京郵電大學青年科研創新計劃專項《初期谷崎潤一郎文學中的偵探小說性格》(2013RC0707),2013年4月-2014年11月;? 主持,北京外國語大學學生創新項目《谷崎潤一郎“中國情趣”的變化》(2009JX007),2009年-2011年,已結題. 目錄 目次 謝辭i 中文摘要ii 論文要旨iv 目次vi 序章1 一探偵小説と探偵小説的な作品1 二谷崎の探偵小説的な作品8 三先行研究と問題提起10 **章〈別世界〉の喪失と謎解き――「秘密」論18 一〈別世界〉と〈秘密〉19 二〈別世界〉の追求から〈秘密〉の喜びの追求へ24 三T女との〈別世界〉30 四〈探偵の目〉の獲得と〈別世界〉の喪失35目次
謝辭i
中文摘要ii
論文要旨iv
目次vi
序章1
一探偵小説と探偵小説的な作品1
二谷崎の探偵小説的な作品8
三先行研究と問題提起10
**章〈別世界〉の喪失と謎解き――「秘密」論18
一〈別世界〉と〈秘密〉19
二〈別世界〉の追求から〈秘密〉の喜びの追求へ24
三T女との〈別世界〉30
四〈探偵の目〉の獲得と〈別世界〉の喪失35
五探偵小説の謎解き構造41
第二章芸術の幻の世界の消滅と謎解き論理の相対化――「金と銀」論53
一二人の芸術家の欲望のあり方と現実世界における評価について56
二幻の世界に耽っている青野と現実世界の評価に拘る大川62
三大川の殺人66
四謎解き論理の相対化70
第三章映畫の幻の世界の確保と解けない謎――「人面疽」論74
一〈人面疽〉の映畫自體の怪奇性75
二女優百合枝が「不思議」がる會社の操作79
三會社の操作と〈人面疽〉の映畫の謎83
四解けない謎について88
第四章?探偵?を放棄する「痴人」――「痴人の愛」論92
一譲治の二重の欲望と?お伽噺の家?での生活93
二謎を持つナオミと「秘密探偵」になる譲治98
三謎の女と「痴人」の誕生105
四謎の幻の世界に耽溺していく「痴人」111
終章116
參考文獻(出版年順)124
論文124
単行本133
雑誌特集137 前言 前節で挙げた探偵小説的な作品だけではなく、「痴人の愛」(?大阪朝日新聞?1924年3月20日~同年6月14日、?女性?1924年11月~1925年7月)や、「卍」(「改造」1928年3月~1929年4、6~10、12月~1930年1、4月)、「春琴抄」(「中央公論」1933年6月)、それから晩年の問題作「鍵」(「中央公論」1956年1、5~12月)など、谷崎の代表作と目されるような作品にも探偵小説的な性格が窺われている。例えば、大正期の成果として見られる「痴人の愛」において、譲治はナオミと慶応學生たちの間の謎を解いてみたり、ナオミの罪の証拠を探したりして、?秘密探偵?の振る舞いをしていたが、結局もう一度現れてきたナオミの謎の魅力に引かれ、?探偵?を放棄し、謎が湛えている?遠い世界?へ接近していく?痴人?となった。謎を提示し、謎を解こうとするが解かないという構造を明らかに持っているといえる。 しかしながら、谷崎の文學の中にこういう形で探偵小説的な側面があるということについては、今日までほとんど論じられていない。そもそも探偵小説と見られた作品群についての研究も少ない。前節で挙げた探偵小説的な作品だけではなく、「痴人の愛」(?大阪朝日新聞?1924年3月20日~同年6月14日、?女性?1924年11月~1925年7月)や、「卍」(「改造」1928年3月~1929年4、6~10、12月~1930年1、4月)、「春琴抄」(「中央公論」1933年6月)、それから晩年の問題作「鍵」(「中央公論」1956年1、5~12月)など、谷崎の代表作と目されるような作品にも探偵小説的な性格が窺われている。例えば、大正期の成果として見られる「痴人の愛」において、譲治はナオミと慶応學生たちの間の謎を解いてみたり、ナオミの罪の証拠を探したりして、?秘密探偵?の振る舞いをしていたが、結局もう一度現れてきたナオミの謎の魅力に引かれ、?探偵?を放棄し、謎が湛えている?遠い世界?へ接近していく?痴人?となった。謎を提示し、謎を解こうとするが解かないという構造を明らかに持っているといえる。
しかしながら、谷崎の文學の中にこういう形で探偵小説的な側面があるということについては、今日までほとんど論じられていない。そもそも探偵小説と見られた作品群についての研究も少ない。
時に議論に取り上げられることがあっても、探偵小説的な側面は小説方法上の模索の過程における一時期だけの枝端、或は「遊び」として扱われている 。例えば、紅野敏郎は「耽美派と探偵小説谷崎潤一郎の場合」で「大正中期から後期は、大正期文壇の確立期で、いわゆる大正文學の一帰結ともいうべき私小説に関心が集中した時期でもあった。そういう時點で潤一郎は「中央公論」や「改造」誌上に、「犯罪小説」「探偵小説」「推理小説」とみなされる作品を次々と載せていったのは、いつもの姿勢というよりは、あえて時代の文學的風潮にならおうとしない、一種のふてぶてしい姿勢の持続、という點に力點がおかれていたと思う。」といってから、「秘密」や「柳湯の事件」「人面疽」を分析した結果、これらの作品を「探偵小説的したてに力點をおいた作品というよりは、*初期より追いつづけてきた潤一郎の変身への願望という事実と深くかかわってくる作品」だと主張している 。中島禮子は「「前科者」「金と銀」「AとBの話」について――その推理小説的技法の意味するもの」において、「谷崎の三十代にあたり、初期作品群の「刺青」「麒麟」「少年」から「蓼喰ふ蟲」の中間期に位置する」時期を「推理小説が集中している」「一定の時期」として見、「「前科者」「金と銀」「AとBの話」は、谷崎の芸術家としての選択の決意を表明した作品」であり、「私生活?文壇という谷崎にとっての不本意な狀況に対面して、自己の芸術をはぐくみ、溫存し、守るための、內なる闘いの記録であ」る。「推理小説的技法は、この三つの作品に限っていえば、意味をもたない」、「大川の犯行をめぐるアリバイ工作やそのための準備は、「金と銀」の作品構成のなかでは、さほどの重みをもっていない。谷崎は、この部分について、おそらく楽しみながら〈遊び〉の作為をもちつつ書いたにちがいない」と主張している 。
一方、江戸川亂歩や橫溝正史ら日本における探偵小説の専門家の**世代は、谷崎の所謂探偵小説を高く評価している。「一般文壇と探偵小説」(『寶石』1947年4、5月號)において、江戸川亂歩は専門作家になる前に「これらの作品を憑かれたるが如く愛読した記憶」を告白し、「私の初期の怪奇小説はやはりその影響を受けているし、橫溝君なども谷崎文學の心酔者であって、例えば「鬼火」と「金と銀」、「面影雙紙」と「或る少年の怯れ」、「蔵の中」と「恐ろしき戯曲」等その著想が酷似しているほどである」といっている 。これを受け継いだ形で、中島河太郎は『日本推理小説史』で、谷崎を「日本探偵小説の先覚者」である涙香に継ぐ、「その中興の祖」として位置づけ 、伊籐秀雄は『大正の探偵小説』において、谷崎を「のちの探偵文壇形成の原動力ともなった人物」として評価している 。
ただし、中島河太郎は「彼は筋の面白さを小説の主眼にしたから、當時のいわゆる探偵小説の趣向に借りるところがあった。「秘密」には殊にそれが顕著にうかがわれるが、後年になると前に引用した「春寒」の一節にあるように、(中略)いわゆる探偵小説に具わっていた神秘的、浪漫的性格には関心を寄せたものの、あくまでも人間性に立腳しようとする立場を崩さなかった。」「私などはややもすれば、トリックに拘泥しがちであるが、作者の意図は、人生の一斷面を取り出して焦點をあてる際、推理小説的技巧を借りたというにとどまるのだろう。が、結果としては、新鮮な著想に到達したわけである。」といい 、伊籐秀雄も「日本に於けるクリップン事件」以降は「トリックを用いた小説から離れた感を受ける。谷崎は探偵小説の技法を巧みに用いて、人生の一面を表現したのである。一般探偵小説作家のように、トリック小説、つまり謎と論理の探偵小説を狙うことによる不自然さを避けていたから、その作品は文學作品として評価されていた」といっている 。つまり、評価が対極的であるにもかかわらず、探偵小説的な側面はあくまで谷崎の小説方法上の模索の過程における一時期だけの枝端であり、その後谷崎はトリックより人間性、人生の描寫に焦點を當てていき、探偵小説のジャンルを離れ、純文學へ向かっていくという點において、探偵小説というジャンルの歴史を整理する側も文學研究者側も一致しているのである 。
探偵小説とみられた一連の作品に対する、探偵小説研究家と所謂純文學の研究者との評価が対極的である背後には、文學が芸術性(人生、人間の內面への表現を重視する)か通俗?娯楽性(読者をひきつけるためにトリックの運用を重視する)かによって二項対立的に、純文學と大衆文學(探偵小説が大衆文學の一翼を擔ったと見られている)に分類されている事情があると考えられる。さらに、探偵小説の研究者も谷崎の文學が結局探偵小説を離れ、成熟していったとみなすのは、彼等も暗黙のうちに高尚な純文學対低俗な大衆文學という対立図式を受け容れているからではないかと考えられる。 | | |